最近、国ガチャという言葉を聞きました。
どの国に生まれたら幸せかと言う事です。
自分はいつも親ガチャに失敗したと思っていました。
家の親は否定的で褒めることがなく、私が小学生の頃はヒステリーになってよく叩かれていました。
そのせいで臆病な性格になり、批判される事も恐れるようになりました。
それまでの自分と性格が正反対になってしまったのです。
さらには兄弟仲も悪く、もうおばさんになった姉はまだ小学生くらいの知能をしています。
軽度の知的障害者みたいな感じです。
この境遇で自分が幸せに生きられるわけがないと、全ての不遇を周りの責任にしてきました。
それで人生が好転するわけもなく、今では幸せを周りに求めていたこと自体が間違えていたのだと気づきました。
要するに、今の自分の不遇は自分自身が招いたもの。
自己責任ってやつですね。
これを認めるまでにはかなりの期間がかかりました。
やはり、こういう子育ては駄目とか、勉強すればするほど自分に与えられた教育が間違えていたのだと知らされたからです。
でも、どんな境遇でどんなトラウマが発生し、どんな人生になってしまったのかは帰られなくても、大人になった自分はその瞬間から自分で新しい人生を作り出すことができたはずです。
それをしなかったのは勇気がなかっただけ。
勇気が無いのを認めたくなくて周りの責任にしていた。
うさぎを飼っていると、当たり前の毎日がとても貴重なものだと思わされます。
うさぎは体調が悪くなると食欲が落ち、何も食べなくなります。
そうすると胃腸が動かなくなり、そのまま死んでしまいます。
歯が悪い時でも、本当は食べたいのに歯が痛いから何も食べなくて、それを死ぬまで続けるんです。
うさぎを飼うというのはとても大変です。(全く病気にならない子もいますが)
そんなうさぎと生活をしていると、毎朝起きてまず確認するのは、きちんと夜ご飯を食べているのか、糞尿はきちんと出ているのかです。
全く食べてなくて、糞尿もしていないってなったら、心臓が止まりそうなくらいに心配になります。
だって、そのまま食べなくなると死んでしまうから。
いつも余命宣告と隣り合わせの生活です。
だから、毎日健康で過ごしてくれていることが、本当にありがたく、すべてに感謝したくなります。
この日々がいつまで続くのかわかりませんが、普通の毎日を与えられたことに感謝しかありません。
と、前置きが長くなってしまって本題からずれているようにも思えますが、言いたいことは昔から言われていることと同じなのです。
足るを知る。
今あるものに感謝ができれば、本当の幸せを感じられる。
幸せを周りに求めて、持っている人と比べて卑屈になったりすると、この恵まれた環境さえも恨めしくなります。
輪廻転生って都合の良い教えだと思いませんか?
人間が生まれ変わったらまた人間になるって、死に恐怖した人間を救うために誰かがついた嘘に決まってるでしょう。
我々は目に見えない魂みたいな存在で、この世に来るのに人間の体という物体を利用させていただいています。
それが次もまた人間ってなんで決まっているのでしょう?
次は昆虫かもしれないし植物かもしれない。
この世にあるあらゆる命になる可能性はあると思うのです。
だから、人間の体を与えられた時点で、生存ガチャに成功していますよね?
何億か何兆かわからないけれど、かなりの確率で幸運なくじを引きました。
人間に生まれたからといって、紛争地帯や飢餓で苦しんでる貧困地域に生まれたのなら、それは生存ガチャに成功したけれど、口ガチャに失敗してすぐに命を落としてしまうかもしれません。
それだと幸運だと言えないです。
ですから、タイトルにも書いた通り、人間として生まれることができ、なおかつ日本という豊かな国に生まれることができた時点で、最高の結果を引き当てたんだと思います。
それなのに日本人の自殺者が多いのは、この事実を忘れているからではないでしょうか?
そして輪廻転生って言葉に騙されて、来世では幸せになれると望みをたくして自殺をするのでしょうか?
神様からすると、一度幸運を与えてあげたのに、それを無駄にして自ら命を絶ったものに、再度幸運を与えるとは思えないです。
世界で迫害を受けてきたユダヤ人ですが、ユダヤ人は絶対に自殺をしないそうです。
どんな状況でも生きる。
自殺なんて神様を裏切る行為だと思っている。
だから、今日まで生き残っているし、優秀な成功者が多いらしい。
詳しくはわからないけれど、何かの本で読んだことがあります。
自分が神様の立場だったら、せっかく与えてあげた幸運を無駄にするやつに再度優しくしてあげようと思うかな?
お前なんか地獄に行け!
もしくは次はコオロギになってカマキリに食べられる一生を与えてやる!
とか、思ってしまいそうです。
言いたいことをまとめると、
今あるものに感謝をして、与えられたこの一生をまっとうし、あの世で神様と対面した時には胸を張って
「ありがとうございました」
と言えるように、日々を一生懸命に生きましょう。