今日、図書館に借りていた本を返しに行ったついでに、何かよさげな本はないかと探していたら、少し前に読んでみたいと思っていた歎異抄の本があったので借りてみました。
マンガだから理解力のない自分でも読めるかな?と思ったのですが、実際にそうでした。
静かな環境で読み進めていると、数時間で読み終えました。
授業で聞いた時は、親鸞聖人の言ってることに納得がいかなかった。
だって、悪い奴は罰せられないといけない。
そうじゃないなら世の中悪い奴だらけになって社会の秩序を守れなくなる。
自分は、悪いことをした人は、裁判などする必要はなく、すべて死刑にすればいいと思う人間でした。
人権とは生まれながらに付与されるわけではなく、相手の人権を尊重することで自分の人権も保障されるのだと思っています。
ですから、未成年には保護者がいるし、そうでないと社会的に生きられないようになっている。
だったら、人権を無視した犯罪者は、そもそも裁判を受ける権利すらない。
そう考えていました。
この本を読んで、この考えが覆されたわけではないですが、根本的なところで自分の考えが違っているのかな?と思うことがありました。
そもそも、悪人の定義が違いました。
善人とは自分の力で極楽浄土に行けると思っている勘違い?の人を言い、悪人というのは悪い行動をした人だけのことを言うのではなく、心の中で思っただけの人も悪人なのだと。
となると、自分も悪人でした。
誰かに死ねばいいのに・・・と心の中で思ったことは何万回とありましたから、とんでもない悪人なのかもしれません。
そんな自分も救いが得られる。
それが悪人正機説みたいです。
ですから、悪人でも救われるんだから、悪いことを何度でもやってしまえばいいんだ!
って考えとは違うんです。
この辺の解釈は昔から危険だったみたいで誤解もあったみたいです。
そのために、読まない方が良いと封印をされたこともあったのだとか。
読み終えた今は、本当にこの世の仕組みだとか、これまでの自分の価値観だとか、何が正しいのかわからなくなってきて、でも、生きること自体が苦行なのだと思っている自分としては、このわからなさも受け入れるしかないと思っています。
苦しみから逃れたいと思えば苦しみが増す。
苦しいものなのだと受け入れて、それをそのまま眺めるように俯瞰していれば、苦痛も和らいでくるような気がします。
今、慣れない職場で慣れない作業をしていて、苦痛に感じることばかりで精神的にも肉体的にも疲弊していますが、それから逃げようとしなければ毎日は着実に過ぎていってます。
この先に何があるのかを想像することなく、不安に思うこともなく、ただ一切を受け入れる。
そうして今ある自分や周りの環境に感謝をして生きていく。
それが今の自分です。
最後はACT(アクト)の考えになってしまいましたが、いろんな考え方に触れるのはとても勉強になります。
興味のある方は一度手に取ってみてはどうでしょうか?